金属の表面が空気や水に触れて生ずる、酸化物などの化合物



変わらないものなんて、どこにもない。
キミはそう言って、目に見えない何かを見ようとするかのように目を細めた。

あぁ、でも……ぼくは知っている。キミには見えない。変化のない世界を。




ルックの部屋には木製の小さな机がある。
主に読書に使われるその机の上には数冊の本とランプがのっているだけ。あまり座り心地のよろしくない椅子に、これでもかとクッションを重ね、深夜の静まり返った部屋で紅茶を片手に本を読むのがこの城に来て以来のルックの習慣だった。
その机は何処から見ても新品とは言えず、おそらく城の体裁を整えた時に倉庫の隅にでも眠っていた物を引っ張り出してきただけなのだろう。
中古品だからという不満をはなかった。少なくとも机に関しては古かろうが何だろうが気にもならなかったのだが。
せめて椅子の座り心地くらいは考慮して欲しかった。
とはいえ、良くも悪くも淡白な性格であるルックは『あの』軍主と『あの』軍師相手に文句をつけるという考えをあっさり放棄し、ひたすらクッションを積み重ねる事で良しとした。

『普段あれだけぶつぶつ文句言ってるクセに・・・』
一度本を借りに部屋までやってきたトランの英雄は、椅子の上のクッションの山を見てぽつりと呟いた。
(文句と交渉は別物なんだよ。・・・・面倒くさい)
声には出さずに言い返した。心の中で呟いたそれが聞こえるわけもなく、一見無表情に見えるルックに英雄は肩を竦めるだけだった。




───錆、だ・・・

ルックがそれに気付いたのは、満月の夜だった。
開け放たれた窓から夜の風が流れ込み、ガラスの覆いの中に灯された灯りが風の流れによって時折ちらちらと揺れる。
机の上に広げられた魔道書はシンダル族に関する物で、分厚いそれを半ばまで読み進めた所でルックは顔を上げ伸びをした。
ずいぶんと集中していたせいか、力を抜いた肩に鈍い痛みを感じる。片腕を折り曲げ手を肩へ添えると、布越しに触れた首の付け根がずいぶんと固くなっていた。 いくらクッションを重ねているとはいえ、元々座る者の事を考えて作られたとは思えぬ椅子に、長時間座り続けていた腰も痛みを訴える。

(僕も年かな?)
この年で言っても厭味にしかならぬ事を考えながら、体をほぐすついでに紅茶でも入れ直すかとルックは立ち上がった。
膝で椅子を押し遣り、カップを手に取る。備付けの棚の上に置かれた紅茶セット(ナルシーズから強奪・・もとい頂いた)へ視線を向けて一歩踏み出すと、軽い音を立てて積み上げていたクッションの山が崩れた。
(・・・・ヤレヤレ)

土足で歩くフローリングに散らばった白いクッションの一つを拾い上げてみると、普段は目につかない細かな土が点々とついていて『白米に黒胡麻』状態である。
仕方なくカップを机に戻し、屈み込んでクッションを拾い上げる。軽くパタパタと手で払い椅子の上に戻していく。机の下に潜り込んでしまった一つに手を伸ばした時、ふと目が捉えた。
───錆、を。

古い机の四本の足は金属で留められている。ちょうど裏側にあたるそれは屈み込んで見ぬ限り目につくものではない。
通常、錆は水に触れると生じやすく、空気による酸化は時間がかかるものだ。机の裏側が水に触れる可能性は低いから、この錆は机が古いものであるという証である。
───それだけだ・・・
そこにそれ以上の意味はない。意味など何もないのだが──・・・
ルックはじっと赤茶色の錆を見つめ続けた。

(まるで乾いた血の色みたいだ・・・)
そういえば錆と血って似たような味がするとか。血液が酸化すると錆と同じ化合物になるのだろうか。錬金術なるものは、アダリーが詳しいだろう。もしくは乱読王であらせられるトランの英雄殿か。

かつて彼はこう言った。
変わらないものなど、どこにもない、と。

机の下に潜り込んだまま、ルックは取り留めのない事を考える。
錆はそっと何かに耐えるように、ひっそりと机の裏にあった。
誰にも気付かれる事なくただそこに。
とてもとても長い年月。机はただの机としての役割を務め、それ以外のことなど何も知らず、役に立たぬ時は倉庫に閉じ込められ、そしてまた必要とされ使われる。
そこには何の変化もないように思われた。
机はただの、机だ。
それでも、時はなんの変化もないはずの机の上にも刻々と証を刻む。
その証は、乾いた血の色みたいな錆。

変わらないものなど、どこにもない。

小さな欠片みたいな錆が、それを証明している。
古びた机も、座り心地の悪い椅子だって、刻々と変化しているのだ。
ルックはじっとそれらを見つめる。
その目には、他の誰にも、彼にも、見えない世界が映っていた。



あぁ、でも……ぼくは知っている。キミには見えない。変化のない世界を。

知りなくなんてなかった。
目に見えない何か―――時の流れを、目を細めてどこか哀しげに愛しげにキミは見ようとしたけれど、ぼくの目にはそれと全く違うものが、見たくもないのに映るんだ。
変わることなき、灰色の世界。
そこはね、地獄、というんだよ。



窓から一際強い風が入り灯りが揺れた。抗うようにしばらく揺れて、やがて消えた。
部屋に濃い闇色が満ちた。窓から入る月明かりは全てを藍色に染める。実物なのか、影なのか。曖昧なまま全てを包み込んでしまう。ルックの目の前にあった錆も、机のシルエットに溶けて消えた。

クッションを抱え机の下から這い出ると、軽く服を叩いて皺と汚れを落とす。
ルックは再び関心を座り心地の悪い椅子に戻して、クッションの山を作り上げた。
暗闇に慣れた目でちらりと机を見遣ると、古ぼけたそれは血を流し、一人苦しみに耐えている老人のように見えた。
なんていとおしい。



-END-
 
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