浜辺の孤独
湖に近い砂浜。
草原に背を向けて広がる砂地の上に放り出された白い木の幹に腰を下ろす。ずいぶんと長い間そこに放置されていたのだろう、幹の表面は綺麗に洗われて滑らかとも言える手触りだった。
海のように寄せては返す波があるわけではないが、そよぐ風に踊る水面が、時折砂浜に濡れた跡を残す。
遠い空を舞う鳥の黒い影にぼんやりとした視線を送っていたルックは、近付く人の気配に目を閉じた。
砂を踏みしめる規則的な音が近付き、閉じた瞼を透かして見えていた光が陰る。それと同時にふわりと空気が動き、幹が微かに軋んだ。
「よぉ、ルック」
どことなく人を揶揄うような中年男の声に、目を閉じたままルックは嫌そうに眉を寄せる。
「・・・なに?何か用?」
勝手に隣に座った人物は苦笑したようだった。
「別に用は無いがなぁ」
周りの世界を、自分以外の人が持ち寄る空気を拒絶するように瞼を下ろしていたルックは、のろのろとその目を開き、決して友好的とは言えぬ眼差しで隣の人物を睨み付けた。
『用が無いなら話しかけるな』
その目は雄弁に語っていた。
中年男──タイ・ホーは、とぼけた顔でのんびりと眼前の湖を眺め、ルックの視線を綺麗に無視した。飄々とした海の男は、何を考えているのか分からぬ表情で一人呟く。
「海は広いねぇ」
「・・・・・ここは湖だよ」
静かにツッコミを入れるルックに、ニヤッと笑いかけてタイ・ホーは頷いた。
「変わらんねぇ、お前さんも」
「・・・あんただってちっとも変わってないじゃないか。いい歳してフラフラしてさ」
「ははは。まあこれも人生よ」
「・・・・・・・いい加減」
城主であるリオウがコボルト村に交易(光るたまを手にいれたらしい・・・)に行くのは毎度の事だった。船頭であるタイ・ホーがレイクウエストで船番するのも、コボルト村の雰囲気が好きになれないルックが村の近くで待つのも、珍しくはない。
けれど、こうして二人で喋ったりするのはとても久しぶりの事だった。それこそ三年前の戦い以来。
尤もルックの方には何も喋る気など無かったし、タイ・ホーにしてもただの気まぐれで取り立てて話したい事があるわけではなかった。
自然沈黙が場を支配する。
砂浜の先から賑やかな話し声が聞こえてきた。子供の声だ。
レイクウエストから近いこの場所に、村の子供たちが集って遊びに来たのだろう。手にバケツやら魚を掬う小さめの網やらを抱えて楽しそうに足を濡らす。
「おっ、小魚を捕る気だな」
タイ・ホーが面白そうに見遣る横で、ルックはそちらへ素っ気ない一瞥をくれただけでまるで興味ナシという顔をすると、空へと視線を向けてしまった。子供が水で遊ぶのを眺めるよりも、何も無い空を見ていた方が数倍マシといった様子。
そのルックの反応にタイ・ホーは少し驚いた顔で、興味をそそられたように目を細め、片手で顎を擦った。
「ふーん。もしかしなくてもお前さん、魚捕りした事無いだろう」
ルックは素知らぬ顔で、否定も肯定もしない。見上げた空では薄い雲の欠片が風に細く棚引いて消えた。
「・・やっぱりな」
タイ・ホーは揶揄するような、戸惑うような、ひどく中途半端な顔をする。
タイ・ホーの故郷──カクの街では、子供たちは皆徒党を組んで、トラン湖の辺りで小魚を捕るのが当たり前だった。それは一種の儀式みたいなもので。そうして湖を身近に感じながら、やがて子供たちは海の男として育ってゆく。(注: トラン湖は海に非ず・・)
むろんルックはカクの生まれではないし、ルックでなくとも内陸生まれの人間なら、魚捕りとは無縁だろう。ただ、タイ・ホーの頭の中には、子供の遊び=魚捕りという図式が成り立っているのだ。魚捕りでなければ、一体何をして遊ぶのだ。そこまで思ってタイ・ホーは困った顔をした。
子供の遊びなんて、それこそ鬼ごっこから砂遊びまで、いろいろ思いつくが、タイ・ホーが戸惑うのは、今、この隣に座っている性悪魔術師が、一体何をして育ったのか全く想像がつかない事にだった。
水遊びや魚捕りに限らず、悪友と一緒になって鬼ごっこをしたり、近所の家の庭に悪戯をしたり、そういった様子がこの空を見上げる少年からは想像出来ないのである。
タイ・ホーはしげしげとルックを、それこそ頭のテッペンから足先まで、無遠慮にジロジロと眺めた。
17歳と聞いていたが、とてもそうは思えない程ほっそりとした手足。
普通──タイ・ホーの基準では、そろそろしっかりとした筋肉がつき始めてもおかしくない年頃のはずなのに。身長もやや低く、全体的にこじんまりとした印象だ。
ゆったりとした魔術師のローブを羽織って、常に冷静で落ち着いた雰囲気を纏っている。
顔は、さすがに美少年と称されるだけあって、確かに整っている方だろう。端正な顔立ちは元より、奇妙に冷静な雰囲気が相まって、尚のこと美少年として映る。
年不相応に冷めた目付き。性悪といわれるだけあって、ルックの性格があまり対人関係に向いていないのは周知の事実。そういう人間に特有の皮肉を宿した目。この年頃のちょっとはしこい子供に良くある目だ。けれど、ルックの冷静さや、彼が特別人と違ってみえるのは、その目の中に妙に諦観した光が覗くからだ。
いたずらっぽい光とか、皮肉とか倦怠の色とか、そういった物の中にこっそり混じり込んでいる全てのものに対する諦め。
若くして彼はすでに傍観者だった。
人生は彼を中心に流れるのではなく、彼はただその流れの辺りで、それこそ水遊びや魚捕りをする子供たちのように、遊んでいるのだ。
タイ・ホーは自分の考えにギョッとした。
いつの世も変わらず、子供の遊技には大人のマネがある。小魚を捕るのだって、おままごとだって、それこそ戦争ゴッコだって、種類は違えど皆根本は大人のマネだ。
では、人と違う次元に生きる大人を見てきた子供は、運命の天秤を見守る大人の元で育った子供は、一体何で遊ぶのか。
タイ・ホーの不躾な視線を物ともせず、完璧に無視してルックはただ空を見上げている。その目はやはり、すでに何かを諦めた者の目だった。
無表情な彼がその頭の中で何を考えているのか、読み取るのは至難の技だ。だが、そうやって動かないルックを見ていると分かる事がたった一つある。
彼はいつだって、一人、なのだ。
染み入るような孤独を孤独とも思わぬ程に、一人ぼっち、なのだ。
タイ・ホーが隣に座っていようと、たくさんの人が通るホールにいようと、どこにいても彼は一人。こうやって周りを綺麗に無視して、一人でいるのだ。
期待なんかしていない。
ルックは誰にも期待していない。
だから残念に思う事も、がっかりする事も無くて、いつだって冷静な目で世の流れを眺めている。寂しく思うことすらない。だって、最初から人に何かを求めたりしていないから。
───もしそうなら、なんて哀しい子供なんだ。
バケツを一杯にしてはしゃいだ声を上げる子供たちが、目の前を駆け抜けて行った。
ルックはそれに視線一つ寄越さない。
タイ・ホーはこれ以上ない程深い溜息を一つ、胸の内から吐き出した。
-END-
少年日和
晴れた午後。フィッチャーはいつもの不精髭とラフな(というよりダラシナイ)服装でナゼダジョウイ城の庭を歩いていた。
外交上の問題で参考にしたい文献を探すため図書館に向かっていたのだが、こんな風に穏やかな日は、今が戦争中である事を忘れ去って寛ぎたいものである。
フィッチャーは見張りの塔の前をゆっくりと歩いた。ぽかぽかと陽光が気持ち良く、何気なく青空を見上げてみる。
見張りの塔の上に、少年たちの姿が見えた。
「ロックアックスの町中にはたくさんの急な階段と曲がり角があるだろう。馬で攻め込みにくくなってるんだよ」
ハキハキと言うのは地図職人のテンプルトン。
年の割には豊富な彼の知識をもってすれば、大人すら容易く言い負かせてしまう。そんな彼をナマイキだという大人もいたが、そう評する人に限ってこれといった知識も才能もない、つまり彼に言い負かされた人なわけで。(負け犬の遠吠えってヤツだ…)
テンプルトン自身そうと悟っているせいか、それとも元から頓着しない質なのか、そういった手合いははなから相手にしないようだった。
フィッチャーは人を外見や年齢で判断する事はなかった。それは彼が外交官にも関わらずくだけた服装をしているあたりに如実に現われている。(ダラシナイ事への言い訳ではナイ。決して!)
そんな彼から見たテンプルトンは、非常に好感の持てる少年だった。
「城壁沿いには対魔法効果がかかってる。さすが騎士団の本拠地ってとこだね」
テンプルトンとはまた一味違った生意気さを含んだ声はルックのものだ。
概して魔法使いという人種は周囲を小馬鹿にするか、もしくは並外れて天然ボケという特性を持っているものだが、ルックは紛うことなく前者にあたる。
また著しく協調性にかけるのも魔法使いの性だった。ルックが無愛想なのはこの城の常識だ。
トランで星見として名高い魔術師レックナートの弟子だそうだが、時折師匠の教育方針に疑問を抱かざるおえないような発言をかます。
しかし、毒舌の評判高い彼も『レックナート様のおっしゃる事なら~』的事を口にするあたり、意外と世渡り上手なのかもしれない。
少なくともこの城の中で、同じ年頃の少年たちと親しく会話を交わす程度の協調性は持ち合わせているようだ。
「やっぱ忍び込むのが一番ってことか?」
塔の石壁に腰掛けているのはウイングホードのチャコ。
普通の子供があんな場所に座っていれば誰もが危ないと止めるところだが、彼の背中から伸びる黒い羽根がその必要の無い事を物語っていた。
フィッチャーは持って生まれたトボケタ顔をそれと分からない程度に顰めた。チャコに対してあまり良い印象はない。なんといってもサイフを盗まれたアレな仲である。
フィッチャーは根にもつタイプなのだ。それを表情や言動にはあまり出さなかったが、心の底でいつまでもしつこく覚えているねちっこい男だ。何事にもズボラですぐ忘れそうに思われるのだが、それに反するこのしつこさこそが、仕事の成功の元だ、と自己評価してたりするあたり性格改善はみられなかった。
とにもかくにもフィッチャーは、チャコに関しては非常に個人的な理由により好意を持つ事が出来なかった。と言っても腐っても大人である。彼の良い所はちゃんと認識はしていた。それを評価するかは別だったが。彼の持つ明るさや前向きさ。表面には出さぬ強い仲間意識や、戦い抜く強さ。・・・・・盗癖はあるけども。
チャコに対する強烈な第一印象が未だ抜けきれぬフィッチャーだった。
「そうだね。例え竜でもあの狭い町中には着陸する事が出来ない。よく考えてあるよ」
チャコの隣で白いナマモノを抱えたフッチが考え深そうに頷く。
真面目な子だった。素直に目上の言葉を聞くのは、共に旅した相手の影響だろうか。彼が竜を失わなければきっと良い竜騎士になっていたことだろう。
腕の中のナマモノが竜であるかどうかは、まだ分かっていなかったが、例え竜騎士になれずとも戦士として立派にやっていける少年だと思った。竜を一度失うという経験は長い目で見れば、フッチにとってかえって良かった事なのかもしれない。あくまでも他人の目で見るからかもしれないが。時に人は大切なものを失う事によって大きく成長する場合がある。フィッチャーには、白いナマモノを大切そうに抱える少年が喪失の痛みと、そこから生まれたある種のタフさを内包しているように見えた。
「城内も迷路のように複雑になってるみたいだ。忍び込んでも素人じゃ難しいな」
若い忍者、サスケが物知顔で言った。
サスケは若さゆえか、あまりフィッチャーが思い描くような『忍者』ではなかった。服装さえ変えてしまえば普通の少年のように見える。だが仮にも『六角の里』が寄越した若者だ。それなりに優秀な技術を持ち合わせているのだろうし、これからの成長にも期待されているのだろう。
もっともフィッチャーは六角には縁がなく、正直忍者の里とも呼ばれる六角の親しみやすい人々に意外性を感じずにはいられなかった。今まで仕事で出会った忍びなる者は皆一様に、闇を背負う者の静かな迫力と底知れぬ冷徹さとを持ち合わせていた。しかし六角の忍には、一見凄惨さが見えなかった。忍びという一般とは違うルールの中で、極めて健全に生きているように思える。少なくともサスケは、健康的な少年に見えた。
「うぅーん」
少年たちの、はたからみれば微笑ましいくらい真剣な話し声の中に、異様なまでに場違いな呑気な声が響いた。
見上げるまでもなく軍主リオウのものだと分かる。
フィッチャーはかなり早い時期から、この一見ただのコザルに見える少年の中から滲み出る強い存在感を感じ取っていた。それは彼の宿す真なる紋章の力でもあるのだろうが。けれど、それだけではなく、この呑気さすらも大物の貫禄と呼べるだけの何かを感じる。
これがカリスマというものなのだろうか。
たくさんの人々を惹き付けずにはおれぬ力。この少年を信じてみようと思わせるだけの強さ。
「えへへへへへへへ」
意味のない笑い声が降ってきた。
いや、これもまた彼の大物である証なのだろう。うん、そうだそうだ。そうに違いない。
人を見極める能力に自信を持っているフィッチャーは深く頷いて己を納得させた。
「じゃ、魔法はどうだ?」
シーナの軽い口調。
楽天主義らしく、何事においても重々しさを嫌う彼は軽薄な若者と思われがちだった。女好きで遊び好き。親の金を元手にふらふらする放蕩息子。
しかしフィッチャーはその評判に首を傾げる。
確かに彼が遊び好きなのは否定出来ない事実だが(そして女好きなのも)。職業上人の言動を上辺だけではなく判断せざるおえないフィッチャーは時々恐ろしい可能性を考えずにはおれない。
確証はないのだが、思う。彼の諸国を放浪する遊び好きの評判は、もしかしたらカモフラージュなのではないか、と。
各 国を廻り情報収集を行なう所謂スパイ行為を覆い隠すのに、『放蕩息子』というのは格好の隠れ蓑ではないか。『親に金をせびるため』と称して定期的に国元に 帰っては、『親父に叱り飛ばされて逃げてきた』と言って諸国を巡る。家族ほど信頼出来るスパイは他に無い。レパント一家は思っていたよりも策士な一族なの ではないか。
あくまでもフィッチャーの推測にすぎないが、仮にもあの帝国最後の混乱期に自治を貫いた一家が、ただ善良で優しいだけとはどうしても思えないのだ。
「で、結局どうするんだ?」
シーナが何気ない声で一同の意見を求めた。
フィッチャーは思わず顎に手を添える。
「フィッチャーさん、小指立ってますよ」
通りすがりのトウタが冷静な指摘を残して行った。
フィッチャーは黙ってその場を離れ、図書館の入り口へと向かった。少年たちはまだ話を続けている。その話し合いが次の戦に関するものだと、気付いてしまった。
彼らは、ただの暇潰しやお遊びで集まっているわけではないのだ。良く晴れた日の午後。爽やかな風吹く中、塔に集まったまだ十代の少年たちは現実に差し迫った戦いの話をしている。
フィッチャーは溜息を溢した。
性善説を唱える気は元より無い。それはフィッチャーの今までの経験と相容れるものではなかったから。
それでも『子供らしさ』といえば、無邪気なイタズラや野原で駆け回る姿を思い浮かべるあたり、見かけによらずかなりドリーマーな男である。
───早く戦争が終わるといいなあ・・・
子供には子供のままでいてもらいたい。
どこまでも他力本願で自分勝手な夢を唱える元ミューズ市筆頭外交官フィッチャー32歳(♂)。
結婚の予定は全くなかった。
-END-