頭グルグル 1: Nanami


あのねぇ、ふと気がつくとねぇ、頭がグルグルするの…。(あっ、そんな目で見ないでよ。そんなかわいそーな子を見るような目で…。)
グルグルって言っても、別に眩暈だとか、酔ったとか、そういう事じゃないんだよねぇ。(パーだとかそういうのでもないよ。)
ただ、何ていったらいいのかなぁ。こう…、何もかも分からなくなるようなぁ…。(あー、だからその目やめてよ。)
ねぇ、ナナミ、こういうのってよくある事なのかなぁ?



上記のようなまとまりのない内容を、更に取りとめのない感じでリオウが言った。

眠れないからと私を起こしたリオウは、内容とは裏腹に、ニコニコと一見幸せそうに見える笑顔で私の手を取り、薄暗い階段の冷えた床を裸足でペタペタと音を立てながら歩いた。
踊り場に作られた窓からは、真っ黒い湖と、蛍光灯みたく真っ白く発光してる月が見えた。おかげで真っ暗闇であるはずの階段は、蝋燭の灯りなどなくとも充分明るく、私とリオウはただ手を繋いだだけで何に困ることもなく階段を下っていた。

何度目かの踊り場で、再度窓から外へと視線を向けたリオウは、私の手をギュッと引っ張って、くすくすと笑いながら耳元で囁いた。

にせものみたいだね、と。

まるで大切な秘密を打ち明けるみたいに言われて、私も窓枠で四角く切り取られた夜の景色に目を向けて、くすくすと笑ってみせた。
真っ黒い湖も、真っ白い月も、まるで絵みたいに見えた。
にせものみたいだった。

くすくすと楽しそうに笑うリオウに手を引かれながら、静まり返った夜の城を歩く私の世界は、全部にせものみたいで、急速に現実感を失っていくような、奇妙な感覚は、本当に、頭がグルグルする感じで、リオウの言ってた事が分かった。
あー、そういう事か、と思った。

どうかそんな目で私を見ないでください。そんなかわいそーな子を見るような目でさ!



あのねぇ、頭がグルグルするとねぇ、いろんな事がよく分からなくなるのぉ。(だからパーじゃなくってね。)
ここにボクがいるのかぁ、それともホントはいないのかとかぁ。(いるに決まってんだろってホントのホントは分かってるケド)
ここがドコなのかとかぁ、どーしてここにいるのかとかぁ。(記憶そーしつじゃないよ。昨日の夕飯、覚えてるもん。)
ゲンジツカンってやつが、欠けちゃうんだと思うのぉ。(むずかしー言葉使った!)
つまり、いるのは分かってるけど、ニンシキ出来ないって感じぃ?(ムフフ)
ねぇ、ルックぅ、こういうのってよくある事なのかなぁ?

上記のようなまとまりのない内容を、更に取りとめのない感じでリオウが言った。

石版の前で深夜にも関わらず、ボーっと突っ立ってるルックの前までやって来たリオウは、私の手を離すと、ルックの足元にしゃがみこんだ。それはもう本当に足元って所に。
そして複雑な模様の描かれたルックのローブの裾を、意味もなく指先で挟んで、どう思う?と小首を傾げてルックを見上げていた。

真っ暗になったホールで、眠るでもなく、まるで人形のように虚空を見つめ立っていたルックは、突然現れて足元に座り込んだあげく、トツトツと語りだしたリオウを、冷たい視線で見下ろした。
あれ?何で、ゴミ出ししたハズのゴミ袋がこんなトコにあるの?いやだな、寝ぼけちゃったかな。
そんな目で自らの足元を見下ろしていたルックは、可愛らしく見上げてくるリオウの視線を、さらっとシカトすると、私の方を向いていった。

「眠れないの?」
いつもと変わらないルックの、落ち着いた声のトーンは、夜のホールに不思議なほど馴染む。特に潜めているわけでもないのに、潜めて尚、どこか浮いているリオウの声とは全然違っていた。
その優しくも聞こえる柔らかい問いかけに、「うん。リオウがね」と答えると、ルックは最初から分かってたみたいに、ちょっと頷いた。相変わらずの無表情だ。

自称、ゲンジツカンが欠けているらしい我が義弟君は、しゃがみ込んだままの姿勢で、ルックの冷ややかなシカトも何のその、首を傾げ続けている。
かなり首が疲れそうな体勢だが、そんな様子は微塵も見せない。
私は、リオウの斜め後ろから、二人の様子を眺めていた。
先程感じたグルグルする感覚は、私の中から消え去っていた。
度々、リオウを悩ませているらしいその不思議な感覚も、私に取ってはほんの一瞬の気の迷いですむようなもので、それこそリオウが最初に否定した、眩暈に近いものだったのだろう。

分かりかけてすぐさま、通り過ぎていってしまった感覚は、ただのシンパシー(同調)に過ぎず、結局のところ、分からないままでいる私に、リオウは敏感に気付いていた。
にこにこ笑いながら、ルックを見上げる大きな目は、その笑顔に似合わない、切実な色が浮かんでいた。
ちょこんとしゃがんで、眠れないと訴えかけるリオウは、同情や同調を求めているわけじゃなく。
ひとりじゃない。
と、思いたかったんだろう。

理解と共感を求めるリオウに、そんなもの、1ミクロンも感じてません、と言いたげな無表情を向けたルックが、ガラス球みたいな目をしてゆっくりと唇を開いた。
あー、これはまた、キッツイ事言うぞ、と思った。きっと、ルックのことだから、何言ってんの?バカじゃない?早く寝ろよ。そんなことを言うだろうと私は身構えた。さぁ、どうやってフォローするかな。
吹き抜けになっているホールの高い窓から入るやけに白っぽい月明かりに照らされてルックは言った。

「よくある事?ぼくはいつもだよ」

あれれ?
それって、ルックの方が病んでる感じ…?


「夢なのか現実なのかイキテルのかシンデイルのかぼくはここにいるのかキミはちゃんと存在しているのかキミが本当はぼくの幻想じゃないって誰が証明してくれるのもしかしたらキミはぼくの夢に出てきているだけの幻の存在かもしれないしそもそもぼくが誰かのマボロシじゃないってどうやったら分かるのそれ以前に存在の定義ってなんなわけココにイルってどういうことなのかジブンという主観が消えてもボクラは客観的に物事を捉えることが出来るのかそもそもシュカンが消えた瞬間にキャッカンさえもなくなるものじゃないのかボクラは所詮ソウタイテキにしかこのセカイというものを捉えることが出来ずにいるジガが消えたらそこにはもうなにもなくてただ空っぽの器のみのモノになってしまうのかもしれないし例えばあくまでもタトエバだけどさぼくもキミも何か別の存在が作り出しただけの生き物でううんイキモノでもない本当はこのニクだと思っているものもぼくがぼくであるという認識さえもただのゲンソウで存在という言葉自体当てはまらないようなカタチ無きものだとしたらニクではないヒトではない何かから生まれシヌことさえ出来ずジブンさえも信じられないそんな不安に苛まれ目の前に広がるのはただ一面のハ イ 色 の セ カ イ そんな風になってしまったら………それはきっと頭がグルグルするってことかもね」

淡々と語るルックの足元で、リオウが、うんうんと頷いて笑った。
私は、右から左へと流れていく言葉の羅列が途切れた瞬間を見計らって言った。
「…つまり?」
ルックはガラスのように綺麗に冷めた目をこちらに向けた。
「つまり……」

そう言って彼は、右手を上げた。まるで夏の日差しを遮るように、目を細めて掌をかざすと、白い月の光が、ルックの白い手を照らす。
月の光は太陽よりもずっと柔らかく、優しく、残酷だ。
月明かりに照らされたルックの手は、まるで作り物であるかのように冷たく見えた。
けれど、外側に向けた掌から手首へと向かって浮き上がる青い血管が、彼が温かい血の通ったイキモノである事を証明している……はずだと、思った。

言いかけたまま口を閉ざしたルックの手を、リオウは嬉しそうに見上げていた。
私はやっぱり意味が分からないままだったけれど、嬉しそうなリオウの姿を見て、まぁいいか、と思った。

ルックは相変わらずの冷めた視線を、再びリオウへと戻して、ローブの先を摘む指先を眺めていた。
私は二人を見つめながら、今も彼らの頭はグルグルしているんだろうかと考えた。
してるんだろう。きっと。
リオウが言ってた事もルックが言った事も、よく分からなかったけれど、私なりに考えてみたところ、結局は頭の中だけで物事を捉えるから、グルグルしてるんじゃないだろうか。
生きるということを、頭の中で捉えると、グルグルしそうだと思う。だって私にはとてもじゃないがその全てを、捉えることなど出来はしないのだから。

私は二人に近づいて両手を差し述べた。

リオウは当たり前のように大人しく手を伸ばして私の片手をギュッと握った。
ルックは顔色を変えぬまま、伸ばされた私の手を、何だこれ、何かくれるの?とでも言いたげに眺めていた。
私は、はい、と声に出して更にその手をルックへと近づけた。
握られたリオウの手と、空っぽのままの手と、私の顔を交互に見て、それからルックはしっかりと溜息を溢すと、嫌々ながらとでもいうようにゆっくりと片手を差し伸べてきた。
触れたルックの手は、冷たかった。
私はそれをリオウと同じようにギュッと握った。

「頭がグルグルしたら、手を握るの!いろんな事が分からなくなって、何にも分からなくなっても、キミも私もここにいるの。手を握ったら、平気なの!ここに、生きてるの!」

リオウが、「うん!」と返事をした。

良いこと言った!と思った私の前で、ルックが、何クサイ事言ってんの、みたいな思いっきりバカにした目を向けてきた。(痛ッ!)



-2: Luc-















頭グルグル 2: Luc


真夜中に、リオウがやって来るのを、ぼくはもう不思議だとは思わない。

それはもう、当たり前の行動になっていた。
夜毎、ベッドから抜け出してきたリオウが、眠れないと微笑みながら石版を見上げてぼくの前にしゃがみ込み、ローブを指先で挟んで、親指と人差し指の皮膚が一番盛り上がったところで生地の感触を確かめるようにする。
時々、後ろを振り返って、そこには薄暗いホールが広がっているだけだとよく分かっているだろうに、いないかと期待するでもなく視線をさ迷わせる。

きっと、こいつの頭は今、グルグルしているのだろう。

ぼくはずいぶんと寛大であると思う。
目の前…というか、足元にしゃがみ込むという鬱陶しい行為を受け入れ、他でもないぼくのローブを指先で弄り、皺を残す事すらも黙認してやっている。
褒められて然るべき事だと思う。…別に誰に褒められたいわけでもないけれど。

「ねぇ、ルックぅ…」
そう言って見上げてきたリオウは、もう何日もの間まともに睡眠を取れていないのだろう、目の下にそれと分かる隈を浮かべている。
「…なに?」
我ながら素っ気無い声だと思うが、リオウは頓着せず、大きな目に、いつか見た切実な色を浮かべていた。
あー、やっぱりグルグルしてるんだな。
そう思うぼくの前に、リオウはゆっくりと片手を差し伸べてきた。ぼくはその手をまじまじと見やる。
リオウがその切実な瞳で何を求めているのか、もちろんぼくは分かったけれど、それを与えてやることは、決して出来ないことなんだ。

ぼくは伸ばされた手をギュッと握ってやった。


それからずっと、夜が来るたびに、ぼくらは手を繋いでいた。
怒涛の如く過ぎ去っていく出来事を、まるでガラス越しに眺めるように冷めた目で見つめながら…。
それはきっとぼくだけじゃない。
本来なら人々の中心となるべきリオウが、誰よりも冷めた目で、現実を眺めていたように思う。

月明かりが石版を照らす頃、やって来たリオウはそこに在るはずの名前が、欠けてしまったことを確認してしゃがみ込むと、ぼくたちはそっと、互いの手を握りしめた。

やがて戦争が終わり、約束の地へおもむいたリオウは、握るべき手の代わりに、真の紋章を宿して帰ってきた。

役目を終えたぼくが城を離れる夜、いつものようにやってきたリオウが差し出す手を、出来るだけギュッと握り返しながら、ぼくは聞いた。

「…生きてるって感じする?」

そう聞くと、リオウは困ったみたいな顔で微笑んで小首を傾げた。




◆◆◆




あれから幾度も、数え切れない程たくさんの夜を、空っぽの手のまま越えていった。

ぼくが見上げるこの夜の向こうに、今もリオウはいるだろうか。
その隣には、手を握ってくれるヒトがいるだろうか。
彼の夜が一人ぼっちじゃないことを祈るよ。
ぼくの頭は相変わらずグルグルして、いろんな事が分からなくなって、ついには何も分からなくなってしまったから、もうリオウの手を握ってやることが出来ないんだ。


ねぇ、ナナミ……

キミもぼくも、ここにいるって言ったくせに。
太陽みたいに明るく笑う能天気なキミは、誰よりも嘘吐きだった。

もう戻れない所まで来ているぼくは、かつて戻れないところでぼくの足元にしゃがみ込んだリオウと同じ、切実な目をしていると思う。

そっと手を伸ばしてみても、冷たい空気に触れるだけで。
ここに、
生きてるって感じはしなかった。

うそつき。キミもぼくも、ここにいるって言ったくせに。
キミは、もうここにはいない。どこにもいない。




ねぇ、ナナミ……

夢なのか、現実なのか。
タトエバぼくがイキモノでなかったとしても、それでもあの夜キミはきっと言ってくれただろう。
キミもぼくもここにいるんだ、って。
ここに、
生きてる。ってさ。

そして、ぼくはやっぱり、何クサイ事言ってんの、って目でキミを見るんだ。




おしまい。


-END-
 
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