気がついた時、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
どこだ、ここは。
辺りを見回そうとして、それは叶わなかった。強烈な痛みが体中を駆け抜ける。ひどく寒い。
かろうじて見えた空は霧がかかって薄暗く、灰色だった。
俺は、ここで、死ぬのだろうか。
堕ちたあの日か ら
ウォールマーケットの居酒屋の片隅でジョッキをあおる。
程好く塩の利いた枝豆をぷちぷちと口に入れながら、新たに店に入ってきた二人連れの男にそれとなく視線を向ける。過剰な関心はダメだ。なんせ相手はプロな のだから。こういったちょっぴり胡散臭い連中がたまる場所にありがちな、適度な警戒心を含んだ眼差しで相手を確認するだけ。そんな風に振舞わなくて は。
ここの居酒屋は、酒の種類が多いのと食い物がうまいのとで評判だ。その評判がどれくらいかというと、時には『上の連中』たちも立ち寄るくらいだから、かな りのものだ。ただちょっぴり周りの環境が物騒なのと、堅気とはいえない客がたまっているため、それが気にならない連中に限るのだが。
だから時々、神羅の人間……(といっても本社でお上品に働いている連中ではない、軍で働いているヤツら)がやってきたりする。それに、スーツを着てはいる が決してお上品には分類されない神羅の犬どもが。
店に入ってきた二人連れは、周りから向けられる視線にも慣れたもので、平然とした様子で隅の方にあるテーブルに腰を下ろした。入り口がよく見える壁際の席 だ。
店のおやじは客が誰であろうと金を払うなら来るもの拒まずだ。例えそれが神羅の犬こと、タークスであったとしても。
客の幾人かはその姿にあからさまに顔を顰めていた。その他は無関心。もしくはタークス自体を知らない連中。
俺は注文した鍋焼きうどんがきたのと同時に、二人連れから視線をそらす。ごく自然に『興味ないね』って顔をして。
おかしなことだが……、いや、真っ当に生きてたら何にもおかしいことなどないのかもしれないが、タークスという部署は意外に世間に知られてはいな い。
もちろん神羅の軍関係者や、スラムの裏社会の人間なら逆に、知らない方がおかしいのだが、普通に生活している『上の連中』はまず知らな い。
中には本社で働いている連中だって『総務部調査課ことタークス』は知っていても、『神羅の犬のタークス』は知らなかったりする。少なくとも、本社の受付で 『タークスのツォンさんってかっこいーよねー』とか言ってるお姉さんたちは、一部の隙もなくスーツを着こなしエリート面して社長の護衛を務めている男が、 その社長の命じるままに影で敵を葬っていることを、知らない。
そもそも『上』で暮らす一般市民の皆さんは、神羅カンパニーの社長が顔色一つ変えずヒト殺しを命じ、利益のために多数の犠牲が出るのを厭わないどころか、 当然であると考えているなんてやはり、知らないのだ。
俺もそうだった。知ってるつもりであの日まで、何一つ分かってなんかいなかった。
知らずにいることは幸せなのか。今でもまだ分からない。
タークスの二人連れ、紅い髪の自称エースことレノと、スキンヘッドにサングラスのルードは、まずは一杯!とばかりに冷えたビールのグラスを合わせてつまみ の注文を始めた。
微かに声が届く程度のナイスな距離。ヤツらがあの席に座る常連なのは調査済みだ。
今ここで貴重な情報が手に入るとは思わないが、出来れば今後のヤツらの予定なんぞが聞けたらいいと思う。
スラムの情報屋、それも反神羅の情報屋としてそれなりに知られている俺にとっても、今回の依頼はなかなか難易度が高い。
依頼を受けたのは数日前。依頼主はスラムのドン・コルネオ。あの派手なおっさんの依頼はシンプル。
「どんな情報でもいい。タークスについて集められるだけの情報を持って来い。礼はたんまり弾むぞ。ほひ~!」
その変態っぷりで有名だが、報酬はきちんと払う事でも知られている。
今更タークスの情報を欲しがるのは、おそらくごく最近、新体制になったというヤツらの実態を探りたいのと、近頃スラムで新興されたアバランチ関係だろ う。
現にタークスの連中もアバランチという反神羅組織について探りを入れているようだ。そのためレノとルードの二人がちょくちょくスラムまで下りて来る。(そ してこの居酒屋に寄ってくんだな)
タークス相手の情報収集は骨が折れる。(なんせ相手もプロだから。それも一流の…)それでも反神羅の俺にしたら悪くは無い仕事だっ た。
更にいえば、七番街スラムを中心に活動を始めたアバランチのヤツらに情報を流している俺としては、仕事を請ければコルネオから報酬が入る上、あいつらにも 有利なネタを提供してやれる。一石二鳥ってやつなのだ。
鍋焼きうどんの汁までがっちり味わって箸を置いた俺は、おしぼりで額の汗を拭った。(おっさんくさいとか言いたくば言え!)
レノとルードの二人はあれからボソボソと小声で喋っている。その様子は寛いでいて、とても機密事項を話しているようには見えなかった。おそらく仕事の愚痴 とかそんなトコだろう。
そう思ったのは俺の完璧な油断だった。
おしぼりをテーブルに戻した瞬間、いつの間にここまで来ていたのだろう。椅子に座る俺の両隣に挟むように立ったタークス二人が声をかけてき た。
「よぉ、にーさん。ちょいと話をしたいんだが、顔をかしてくれるかな、と」
「………表に出ろ」
ほんの数秒前まで二人でダラダラと寛いでいたはずだ。それなのにこの変わりようは明らかに俺の食事が終わるのを待っていた。つまり、最初から罠を張ってい たのはこいつらの方だったというわけだ。やられた……。
「…食い終わるまで待っててくれたってわけだ。小さな親切、ありがとさん」
「いえいえ、食事を邪魔されるのは誰だって嫌だからな、と」
訝しげにこちらを見る客達の視線を無視して、相変わらず顔色一つ変えないぶっちょ面のおやじに勘定を払い表に出る。
レノは俺の斜め後ろにぴったりと張り付いたまま、ルードが二人分のビールとつまみの支払いをしていた。これってタークスの経費で落ちるんだろうか。職業 柄、こんな時でさえそういう情報が気になってしまう。
「今日の飲み食いは経費か?」
こうして捕まってしまった以上、遠慮しようがしまいが死ぬ時は死ぬ。いっその事あっさり疑問を口にしてみた。
薄い皮製の見るからに質が良く高そうな財布をスーツの内ポケットにしまいながら店から出てきたルードが、サングラスごしにこちらを見下ろしてき た。
「………企業秘密だ」
さようでございますか。
これくらい答えてくれたって構わないだろうに。職業柄と言いながらも純粋な好奇心が少なからずあった質問をあっさり流されてしまった俺の後ろで、レノがく つくつと笑う。
店を出て、ガラクタの影になる裏道に入り、鋼鉄の屑の壁を背にした俺の前にタークス二人が並んだ。
決して日の差さないスラムの、更に薄暗い裏道で、鉄の破片やら何やらが打ち捨てられたゴミの山を背に、俺は、ここで、死ぬのだろう か。
ウォールマーケットの騒音が遠く聞こえる。ここから見える表通りの明かりは安っぽい黄色。落ちる影はどこまでも深く暗く。飲食店特有の油っぽい臭いが漂っ てくる。目の前には紺色のスーツを着た神羅の犬が二匹。
あぁ、俺は、ここで、また、死ぬのだろうか。
『…まだ息があるのか?』
そんなに驚いたように言わないでくれよ。まだ生きているさ。今はまだ。
『…生き残り、か……』
ほんの僅かばかりのポーションで繋いだ命。思っていたより俺はしぶといらしい。
『どうします。……屋敷に運びますか?』
そんなことより水をくれ。咽が渇いて本当に死にそうなんだよ。谷底を流れる水の音がサラサラと聞こえるのは幻聴か。願望が生み出した幻の音なの か。
大体こいつら(目を開ける程の力はないが聞こえる声は二人分)は、こんなトコで何をしているんだ。
なぁ、ここは一体ドコなんだ。なんで俺はこんな所で死にそうになっているんだ。
冷たい地面。どんよりと湿った風。ここは谷底で、俺はあの 時………
ウォールマーケットの片隅で、人生二度目の最期の覚悟を決めていた俺の顔を、レノが繁々と覗き込み首を傾げた。
「なんかお前の顔、見覚えがあるような、ないような……」
「………知り合いか?」
「いーや。単に見覚えがあるってだけなんだがな、と」
言いながら尋ねるような視線を向けてきたレノに、肩を竦めて見せる。
ここ数日、こいつらの周りをチョロチョロしていたから、顔を覚えられたのだろうか。だとしたら恐ろしい程の記憶力だが、タークスならそれもありえ る。
「んー……でも、なーんかなぁ、最近じゃなくて何年か前のような気がするんだが……」
レノは記憶を探るように首を捻っている。
「………お前が言うならそうだろう。……報告するか?」
あえて『誰に』報告するのか言葉を省いている。どうもルードという男は用心深い性質のようだ。俺みたいなヤツからすると最もやり難いタイプだが、その報告相手が誰か想像するのは容易い。十中八九、最近主任になったツォンだろう。
それにしてもレノの記憶力はやはり相当なものらしい。相棒であるルードが無条件に信用する程度には。
脳内メモを取りつつ黙って成り行きを見ている俺に気付いたレノが、ニッと口角を上げた。
「俺はこう見えても人の顔を覚えるのは得意なんだぞ、と」
「…貴重な情報提供、感謝します」
「おう!しっかり頭ん中に、メモっとけよ、と」
言われるまでもなくメモっているのが、一体どういうつもりだろう。いちいちふざけた様な言動を取られてその本意が見えにくい。
呆れたように溜息を溢すルードを無視して、レノは尚も俺の顔をじっくりと観察しながら口を開く。
「で、用件なんだがな……スラムの反神羅な情報屋のにーさん」
俺の身元はしっかりと割れているらしい。
「………聞きたいことがある」
まぁ、そうくるだろう。なんせ俺は情報屋なのだから。そしてこいつらにとって俺は、それだけの価値しかない。
「大人しく聞かれたことに答えてくれよ、と」
「それで生きて帰れるならな」
答えた途端、ズドンなんてことになったらカワイそすぎるだろう。俺が。
「おいおい、物騒なことを言わないでくれよ、と」
そう言って肩を竦めてみせたレノは、にっかりと愛想よく笑っているが、スラムの裏道で、それもこんな状況で笑える神経がもう物騒な事この上ない、と思う。
「………正直に答えれば、何もしない」
それは充分、物騒な脅しだと思います。特に見た目的にも存在自体が脅しになるルードが口にすると尚のこと。
「なんか失礼なこと考えてるぞ、こいつ、と」
「…………………それより、レノ」
「はいよ、と。んじゃ、情報屋さんよ。ちょいと俺たちの質問に答えろよ」
背中にはゴミの塊。目の前にはダークスーツをカッチリと着こなしたヤツと、俺流に着崩したヤツ。前者はサングラスにぴたりと閉じられた口。後者はゴーグルに、ニヤニヤと軽薄な顔で。
今の俺はまさに絶体絶命。四面楚歌。拒否権なんてものは与えられていない。
渇いた唇を湿らせようとして初めて、口の中がカラカラに渇いていることに気付いた。当然だろう。この状況で緊張しない程図太い神経は生憎持ち合わせてない。
そりゃあ俺だってスラムで胡散臭い仕事をしている以上、ある程度、荒っぽいコトに巻き込まれたこともある。もうちっと若い頃には、それこそ命懸けで働いたことだってあるのだ。
最低限の戦闘経験は積んでいるし、そこいらで見かけるモンスターも装備さえしっかりしてれば倒せる。
最近はちょっとばかり身体にガタがきていて、特に右肩から背中にかけてはボキボキのバキバキだが。
でなければ俺だって、こんな情報屋なんかじゃなく、反神羅組織に入って戦っていただろう。
しかしその場合にしても、タークスを相手に出来るほどの腕前は持っていない。残念ながら。
「って、あんた、大丈夫か?さっきからなんか変だぞ、と」
「………まだ質問すらしていないが……」
目の前で不審そうにこちらを見ながら会話する二人の声に我に返る。
あんたら二人のせいでガクブルなんですが。
「いや、ちょっと気分が……。それより、聞きたいことって?」
こちらの身を案じるような素振りを見せるが、それをそのまま信じる程あまくはないし、馬鹿でもない。こちらの口を滑らすためのささやかな一手だ。
案の定、話を促がしてやると、レノは心配そうな素振りをケロッと消して話を進める。
「あぁ、最近あんたコルネオのおっさんと仲良くしてるらしいな、と」
「いんや。仲良くした覚えは全くない!(きっぱり)……仕事なら多少関係あるが」
「そ、そうか。別にそこまで力いっぱい否定してくれなくてもいいんだが…」
「…………気の毒だ」
気の毒?誰が?コルネオが?
突っ込みたい気持ちは多々あったが、生憎そんなことをしている場合ではない。
それよりこいつらは聞いてくるだろう。コルネオが一体どんな情報を要求したのか。 そして俺は正直に答えるべきだ。タークスの現状を調査しろと言われたと。
ぶっちゃけ、こういう状況での質疑応答は、想定の範囲内、だ。
質問とそれに対する答えを用意して待ち構える俺の顔を覗き込むようにしてレノがにやりと笑った。
「じゃ、聞くが。あんた、タークスで働いてみないか、と」
すいません、メチャクチャ想定の範囲外でした。
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